青森県で見つかった土器のかけらには、黒い焦げが残っていました。その焦げを調べると、1万5千年以上前のものだと分かりました。同じ遺跡からは、旧石器時代に使われていたものと似た石の道具も見つかっています。
古くからの石器を使いながら、新しく土器も使い始めた人々。暮らしは、どのように変わっていったのでしょうか。
大きな変化は、食べ物の調理に土器が加わったこと、そして気候の変化とともに森や海辺の環境が変わり、暮らす場所の選び方も変化していったことです。 ただし、これらは一度に起きたわけではありません。遺跡に残された手がかりをたどってみましょう。
石の道具を使いながら、土器も使い始めた
旧石器時代の人々は、石を打ち欠いて刃物や槍の先を作り、動物を狩ったり植物を採ったりして暮らしていました。食べ物や石器の材料を求めて、場所を移すことも多かったと考えられています。
そんな暮らしの中に加わったのが土器です。粘土を形作り、火で焼き固めた容器で、食べ物を煮るときなどに使えます。青森県の遺跡からは、土器のかけらとともに、矢の先に付ける小さな石の道具「石鏃」も見つかりました。しかも、初めのころの土器には、縄の模様が付いていないものもありました。
縄文時代の始まりの段階は「草創期」と呼ばれます。国立歴史民俗博物館では、およそ1万6千年前から1万1千年前までをこの時期としています。土器が現れても、それまでの石器がすぐに使われなくなったわけではありません。道具の種類が少しずつ増えていったのです。
暖かくなると、森や海辺も変わった
旧石器時代の終わりごろ、日本列島を取り巻く気候は、長く続いた寒い時期からしだいに変わっていきました。やがて暖かな時期になると、地域によってはクリやクルミ、ドングリ類などの木が育ちやすくなり、人々が利用できる食べ物にも変化が生まれました。
海辺にも変化がありました。寒い時期に陸上にたまった巨大な氷が解けると、海水が増えて海面が上昇します。海岸線が移動すれば、魚や貝をとる場所も変わります。森や海の変化は、人々が食べ物を探しに行く場所にも関わっていたのです。
ただし、すべての地域が同じ速さで暖かくなり、同じ森になったわけではありません。国立歴史民俗博物館は、約1万2千年前からの時期を「後氷期」と説明しています。青森県の古い土器は、後氷期が始まる前から使われていました。 土器の登場と気候の移り変わりは、同時に始まったわけではないのです。
土器に残った焦げから、昔の食事が見えてくる
土器の便利なところは、食べ物を煮て柔らかくする調理がしやすくなったことです。では、昔の人々は何を調理していたのでしょうか。
その手がかりは、土器の表面に残った焦げにあります。古い土器の焦げに含まれる成分を調べたところ、多くの試料から、川や海の生き物を加工した痕跡が見つかりました。さらに、気候が暖かくなった後も水辺の生き物を土器で加工することは続き、扱う種類が広がったことが報告されています。
真っ黒な焦げの中に、はるか昔の食べ物の手がかりが残っていたのです。ただし、土器の焦げから分かるのは、その土器で加工した食材の一部です。人々の食事のすべてが分かるわけではありません。
森で採った木の実にも、食べるための工夫が必要でした。例えば、平たい石の上に木の実を置き、別の石ですりつぶせば、細かく加工できます。木の実の種類によっては、水にさらすなどの下ごしらえも必要です。南九州の土器を調べた研究では、動物から得た食材と植物を一緒に煮ていた可能性も示されています。
狩りでは弓矢などの道具も使われるようになりました。一方、石を打ち欠く技術や、一部を磨いて刃を作る技術も、旧石器時代から続いていました。新しい道具と古くからの道具を組み合わせ、人々は身近な食べ物を利用していたのです。
土器を使っていても、移動して暮らす人々がいた
食べ物の利用方法が変わるにつれ、住まい方にも違いが見られるようになります。
鹿児島県の遺跡では、縄文時代の早い段階に建てられた竪穴住居の跡が、まとまって見つかっています。竪穴住居は、地面を掘り下げて床を作り、柱や屋根を設けた住まいです。こうした跡は、その場所が生活の拠点になっていたことを考える手がかりになります。
ところが、新潟県の遺跡からは、川のそばに季節ごとに滞在し、魚を加工していた人々の暮らしがうかがえます。この地域では、はっきりした定住集落が見られるようになるのは、さらに後の縄文前期とされています。
冒頭の青森県の遺跡でも、地面を掘って床にした跡や柱を立てた穴は見つかっておらず、移動できるテントのような住まいが考えられています。土器を持つ人々が、みんな同じ形の家に暮らしていたわけではないのです。
また、住居の跡がいくつも見つかったからといって、すべての家が同時に建っていたとは限りません。季節ごとに戻ってくる生活と、一年中同じ場所に住む生活も違います。考古学では、見つかったものと、そこから考えられることを分けながら、昔の暮らしを調べています。
縄文時代への変化は、長い時間をかけて進んだ
旧石器時代から縄文時代への変化を、一つの出来事だけで説明することはできません。土器が加わって調理の方法が広がり、気候の変化によって森や海辺の環境が変わりました。場所によっては、同じ土地を長く生活の拠点とする人々も現れました。
けれども、石器の技術は受け継がれ、移動する暮らしも続いていました。新しい道具や自然環境に合わせて、人々が暮らし方を少しずつ変えていったこと。 そこに、旧石器時代から縄文時代への移り変わりの面白さがあります。
参考資料
- 国立歴史民俗博物館「第1展示室」
- 文化庁「大平山元遺跡」『文化遺産オンライン』
- 「大平山元遺跡」「縄文時代について」『世界遺産 北海道・北東北の縄文遺跡群』公式サイト
- 気象庁「氷河性地殻均衡(GIA)」
- O. E. Craig ほか(2013)「Earliest evidence for the use of pottery」Nature 496巻、351–354頁
- A. Lucquin ほか(2018)「The impact of environmental change on the use of early pottery by East Asian hunter-gatherers」PNAS 115巻31号、7931–7936頁
- 工藤雄一郎(2014)「縄文時代草創期土器の煮炊きの内容物と植物利用」『国立歴史民俗博物館研究報告』第187集
- 春日部市郷土資料館「風早遺跡出土 局部磨製石斧」
- 鹿児島県教育委員会「上野原遺跡」
- 十日町市博物館「縄文時代と火焔型土器のクニ」
- 綿貫俊一(2012)「上黒岩岩陰の石器組成の分析」『国立歴史民俗博物館研究報告』第172集